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『THE GREY 凍える太陽』

映画

リーアム・ニーソンvsオオカミ映画を観にいってきました。過去に痛みを抱えているらしい男。それはある女性にまつわる記憶。彼女が彼のもとを去ったことに由来する空虚感や喪失感があるらしく、自殺を企てようとしたところも序盤で描く。それが飛行機事故で大雪原に落っこちて、わずか7人の生存者のひとりとなった時から、彼は生き抜くべくあらゆる知恵を総動員しはじめる。そんな極限状態において父から教わった詩が脳裏に浮かび続けるのだが、その詩に導かれるように、最終的には自分の死に場所にたどり着く。…生き抜く映画かと思いきや、孤独な男の自己実現=死に場所探しの映画になっていくのです。
リーアムの死に場所探しにフォーカスしていくためには、ほかに生き残った者らが減っていかねばなりません。ただ、あまりにリーアム映画なため、その他のキャラが薄くて、彼らが減っていくことについてあまり感慨を抱けなかった印象。サバイバルである限りは「このキャラたちに生き残ってほしい」と思わせる描写があればなーとちょっと思ったりもしたのでした。キャラの薄さゆえに、最後にリーアムを一人生き残らせるために、順番に死んでいってもらうための死に方に工夫を凝らすことに腐心しているようでね*1
あと、どんな映画でも必ず配置される和を乱す不穏分子。彼もそれなりの役目を果たしてはいたけど、途中でオオカミの首をギコギコして放り投げるところは、映画の中の登場人物たちもいってたけど、あまりにクレージーすぎた。いくら極限状態でおかしくなってるとはいえ…
ただ、こういう映画を見ると、自分はそんな大変な思い(映画の中でも言及されていたけど、アンデスの聖餐みたいなこととかね)をしてまで、生き残らずとも、事故時に亡くなる大多数側のほうがよいかも…という誘惑に抗えない、だからゾンビ映画とかでも「ゾンビになったら楽だろうかね」と思ってしまう。いや、それじゃダメだ、人間は人間として最後まで生き続けねばならぬのだ、というのが映画のテーマになる。最後まで守るべき/唯一無二の尊い命の美しい散り際だから映画になるねん、というところか。
自分としては、亡くなった彼女のこと等うっちゃって、どうせならリーアムvsオオカミの一対一で全編やったらどうだったかな、と思ったのだけど、それじゃ映画のストーリーにしにくいかな。今作のオオカミのキャラが薄くて、ウォォォンという鳴き声や遠吠えで怖がらせて、死角からの必殺オオカミアタックの繰り返しもびっくりはするけど、心底そら恐ろしいという感じでもなかった。『トロール・ハンター』みたいに一匹狼のハンターvsおっそろしい野生の図のほうが燃えるな*2。やはり、ボスオオカミと一匹狼リーアムの、どこか両者互いの存在にシンパシーを感じつつ最後は一対一の勝負で決着つけようや、という構図にして、ラストファイトでモフモフしたオオカミのぬいぐるみと格闘するリーアムの姿をメイキングで見てみたかったかも。
極限サバイバルといえば『イントゥ・ザ・ワイルド』をちょっと思い出したな。あと冒頭の飛行機事故描写は怖かったな…飛行機は落ちたら怖い(当たり前)。
『THE GREY 凍える太陽』(2012/アメリカ) 監督:ジョー・カーナハン  出演:リーアム・ニーソン、フランク・グリロ、ダーモット・マローニー、ダラス・ロバーツ、ジョー・アンダーソン
http://www.grey-kogoeru.com/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21592/index.html

*1:ファイナル・デスティネーション』シリーズ…的な

*2:ジャンルが違いますが