ジョン・カサヴェテス『ラブ・ストリームス』『こわれゆく女』

カサヴェテスのレトロスペクティブがあったので観に行ってきました。本当はもう2〜3本観たかったのだけど、都合がつかず断念。でもぜひとも観たかった2本は逃さなかったです。
『ラブ・ストリームス』
愛とは流れである。というセリフをつぶやくジーナ・ローランズ。その弟を演じるのは、ジョン・カサヴェテス。どちらもすこしおかしい。姉は精神的に不安定。離婚をするとさらに精神状態がバランスを欠いてしまう。大量の買い物、突発的にペットを買いあさる、妄想と夢と現実がないまぜになる、躁状態が嵩じてぱたりと倒れる。愛を求めている。愛をなくし、さらに不安定になっている。弟も常に躁状態のような感じ。軽々しく女と遊ぶけれど、あくまで遊び。彼女らに気軽に小切手をきって渡しまくる。久しぶりに会ったわが息子も、自分勝手に振り回す。姉も弟も他者の気持ちを慮ることができない、という意味でやはり病んでいるのであろう(でも、この世界には他者を慮れない“ふつうの人”もたくさんたくさんいるけどね)。ふたりはさみしくてさみしくてしようがないのだな。愛は"流れ”…生きている流れであってほしい、そうでなければ困る、と思っている。その流れは自分のところにもくるものでなければ。…そうとは限らぬものかも、ということに本当はふたりとも気づいてるのかもしれない。だからあんなにさみしそうなのじゃない?ジーナ・ローランズがラスト近くで見る夢のなかでの、プールサイドでかつての夫と娘を笑わせようとあらゆるギャグをするも、まったく受けないくだりの狂気じみたさみしさが美しく印象に残った。風俗もファッションも家のインテリアもすべてよかった。

『こわれゆく女』
有名な作品ながら未見でした。登場した瞬間からそのたたずまい、まなざし、表情があきらかにヤバいジーナ・ローランズ。口をぷっぷっぷっと鳴らすところや目を見開いたりおおげさな表情など、同じ世界にいながら、違うヴィジョンを見ている人だとわかる。島尾敏夫の『死の棘』*1を思い起こさずにはいられなかったな。あれは夫の浮気が原因で精神が崩れていく妻と、それに対しなすすべのない夫が描写されているのだけど、こちらは妻がこわれているのを認めたくない夫、という夫婦像である点が若干異なるけどね。でも妻のあやうさ、世界との決定的な溝の生じている、その肌触りが似ている。彼女が夫の仕事仲間を家にむかえてスパゲティをふるまうところ、こどもを迎えにいってバスを待つところ、近所のこどもを預かるところあたりがすごい。こわい。こわれゆく女が、「ふつうの社会一般のひと」と接するときの危うさが一番こわいのだよね。そうしてこわれゆく妻を認めたくない夫ピーター・フォークもどこかおかしく見えてきたりもする…狂気は周囲をまきこむ。しらずしらずその空気にひきこまれている。強制的に入院させられた妻が帰ってくる。ここからもすごい。だって、あきらかに治ってないんだもん!そんな女でも母は母。こどもらがまとわりつくところも痛々しい…。狂気にとらわれた女の系譜映画において燦然と輝く傑作でした。

*1:映画は未見。原作のみ読んだです