大人になるには『テッド』

ジョン少年には小さい頃、友達がいなかった。それで切に願う「このクマのぬいぐるみが喋って、ぼくの一番の友達になればいいのに」。その願いの純粋さと流れ星の落ちるタイミングがピタリとあったとき、ファンタジーが具現化する。中に綿の詰まっているテディベアに命が宿り、自動音声の「I love you」以外の言葉を話しはじめたのであります。以来、ジョンとテッドはいつも一緒、いつだって一番わかりあえる親友、好きなものも一緒だし、キライなものも一緒、だから大嫌いな雷もふたり一緒なら大丈夫。でも、恋人ができて、彼女との“将来”を考えると、幼いころからの親友との関係(ずるずるべったり)を改めねばならない…わかりやすくイニシエーションの話ですね。
軸になるのはジョンのイニシエーションなんだけど、そこにしゃべるクマ要素が加わるので、そのヴィジュアルのカワイイ要素、そしてヴィジュアルと内面(おっさん)とのギャップでギャグ要素、そして80年代ネタで第二次ベビーブーマー世代*1直撃の小ネタクスクス要素がある。
テディベアのおっさんテッドっていうキャラが立ってる時点でもう勝ちなんだけど、正直、アメリカのカルチャーやら小ネタは分からないのが多すぎて、それでちょっとノリきれなかったなぁ。あとは、テッドのストーカー(ジョヴァンニ・リビシ)が可哀相でね。彼もいわば親からの虐待*2の被害者で、それゆえテッドのような親友がほしい!って憧れがゆがんじゃって、性格も歪んじゃって、わが子にまで同じように折檻しちゃって、虐待的な行為は連綿と続いちゃってて…というジョン&テッドが陽だとすれば、裏返しの陰みたいな存在だよね。ギャグよりもテッドストーカーがティファニー*3に乗せてノリノリで踊る気持ち悪いダンスとかのほうがキモおもしろかわいそう、という感じで心に残ったのであります。
もちろん、テッドとジョンの本気のケンカとかもおもしろかったけどね。マーク・ウォルバーグは35歳の設定にはムリがあったかな。あとは、ミラ・クニスが本当によかった!かわいいなぁ、そして魅力的だなー、好きです。
なんだかんだで、ジョンはオトナになったのか?結局、『フラッシュ・ゴードン』も『チアーズ』も大好きなままだろうし…と、ここで、twitterの自分のタイムラインのあのアイコンの人やこのアイコンの人もジョンと同じ要素持ち続けてるよね、とほわほわと頭にうかぶ。いや、好きなものを好きであり続けるのは、それでいいんだよな。マンガやフィギュアを物理的に捨てれば、オトナになるわけじゃない。ひきこもりをムリクリ外に引きずり出せば、社会復帰できるわけでもないのと同じ意味で。内面が変わってるかどうかの問題。カミナリをもう恐れなくなったジョンは、「オレたち雷兄弟」って言ってたテッドへの依存度も減り、ベッタリの関係から一皮むけたと言えるんだろうな。だからあんなに出来た彼女と結婚まで至るわけですな。
続編はきっとこどもができるところから始まるな。そしてこどもがジョンと同じようにぬいぐるみに命が宿るように願い…みたいな感じですかね?とにかくテッドというキャラが確立したという意味で勝ち!の映画でした。かわいいとなんでも許される、かわいいは正義(?)
『テッド』(2012/アメリカ)監督:セス・マクファーレン 出演:マーク・ウォルバーグ、ミラ・クニス、セス・マクファーレン
http://ted-movie.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD23041/index.html

*1:アメリカでもそうなのかな?

*2:そこまでひどくはないかもしれないけど

*3:最初ベリンダ・カーライルと思ってたのですがご指摘いただきました。Tiffany - I think we're alone now です