彼の口から語られる物語『ライフ・オブ・パイ』

ネタバレて書きます。
物語の効用。癒すこと。厳しい辛い直視するのがしんどい真実は奥ふかくに隠して、やわらかくふわふわと面白いもののように砂糖や装飾でくるみこんでしまう、寓話のように。そんな甘い甘い物語に人は夢中になる。この話はどうなるの、先に先に進みたくなる。やがてその寓話の暗喩がおぼろげに分かるとハッとなる瞬間がある*1
今作の主人公パイはたしかにリチャード・パーカーという名のトラと漂流した。リチャード・パーカーという名はエドガー・アラン・ポオの創作およびその後の信じられない偶然の一致で実際に起こった事件により、人肉食を想起させる象徴的固有名となったもの*2。自分は“人肉食”といえば『ひかりごけ』思い出すんですが、このテーマは洋の東西を問わず禁忌の象徴ですよな。今作においては獰猛なハイエナ=コックが傷を負ったシマウマ=船の乗組員を食べてしまう。映画の前半、船のコック役でドパルデューが出てきた時すごく驚いたけれど、ドパルデューほどの大物があのワンシーンに出る意味があったのですよな。まさに物語の鍵となってしまうキャラだからね。そして、そのハイエナをたしなめたオランウータン=母がハイエナの手にかかってしまう。心底からの怒りと生死を分ける極限の状況。それがパイの中にトラを目覚めさせる。隠れていたトラが姿を現す瞬間。彼は最大のタブーを犯してしまう。そして、自分の中に目覚めたトラと付き合い、トラ*3に自分を乗っ取られてしまいかねないアイデンティティの危機にさらされ続け、トラ≒自分を殺そうとしたり、諦めようとしたり、それでもなにをしてでも生き延びようと努力したり…トラを飼いならし、うまく付き合い、やがては静かに諌め、トラを解放し昇華し乗り越えようとする物語*4
すばらしいクオリティのCG全開ではあるのだけれど、あまりに凄すぎる光景は見たことあるようで、この世にあり得ない人工物のようなのです。とくに嵐の海の場面から以降その不自然さは際立ってた。でもそれも理由があって、だってこれはパイの頭のなかで癒すためにつくった物語だからな。動物の動きもどこか人間のよう(とくにオランウータン)。海にしてはありえないほどの凪。まるで湖面のような海面…ありえない風景。クジラや夜光虫。すべて過酷な現実を癒すためのパイの物語のヴィジョン。これらをアン・リーが映像化して映画館で観られたというだけでも満足だな。
あとは邪悪な浮島もおもしろかった!島を埋め尽くすミーアキャット!蟻ん子ばりにいっぱいいるミーアたち。そこで一時の休息って…なにの暗喩?たくさんの人が犠牲になった邪悪な島。海難事故の生存者が生き延びるか否かの瀬戸際の最後の陥穽みたいなの?そこを乗り越えたってことかな(町山さんによるスタンダードな解釈の説明も出ております)。死の淵の生の限界、もう死んだ方がマシだと海に身を投げたものも多かったかもしれない、それでもなお人の世界に還ることをあきらめなかったパイはギリギリのところで陸地に漂着する。人心地つき、トラは去った。ふたたび、人と関わり人を信頼し時には人に裏切られるような世界への帰還。
この世ならぬ風景の映像と、物語の効用。ラストに至って、それまでのお話が違ってみえてくる…ある意味叙述トリック的な…反芻したくなる映画でありました。あと、トラのネコ属な描写もよかったね、ボートに這い上がれないトラちゃんがカリカリ爪をひっかけたりして。
ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012/アメリカ)監督:アン・リー 出演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、ジェラール・ドパルデュー
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD23096/index.html

*1:本当はこわい童話系

*2:教えていただきました

*3:人間の凶暴性、野生、本能

*4:作中何度も言及される宗教的テーマとの密接な関連があるんだろうな…