人類皆きょうだい『人生、ブラボー!』

人の善良さを信じたくなる、あたたかい映画。悪い人は出てこない…うん、だからファンタジーですね、でも、ファンタジーに仮託することで、人間のよいところが具体性を伴って描写もできる。
主人公ダヴィッドはダメダメな奴だ。42歳、独身、だらしない、仕事も十全にできない、このビジネスはイケる、と簡単に人を信じて乗せられて、えらい借金背負ってしまう。一発逆転狙ってやるのは、「水耕栽培」の本を買い込んでの大麻の栽培…、恋人はいるけれどこどもの出来た彼女に「ひとりで育てるから」と宣言されてしまう。
若かりし頃、金儲けのためにやった精子提供。その回数693回って…そして533人のこどもの「生物学上の父」になってしまう。533人のうち134人のこどもらは「父に会いたい」と思い訴訟を起こす。スターバックという偽名をつかっていた精子提供者/父の実体を求めて。ダヴィッドは訴訟資料の原告団のこどもらのプロフィールを見てしまい、好奇心に負け、彼ら彼女らにひそかに会いに行く。紙に書かれた名前の文字列や写真だけではイメージがほわほわするだけ。原告団の人数も単なる「数」。それが、会いに行くことで、一人ひとりの名前に具体性がともなう。個性や顔、性格、歴史がともなう。そうなると愛おしくなる、想いをかけたくなる。男の子もいれば女の子もいる。輝かしいスポーツ選手もいれば、俳優志望、恋愛依存のドラッグ中毒者もいる。路上ミュージシャンもいれば、ゲイもおり、生まれつきの障害者もいれば、“コミュ障”的なゴスっ子もいる。それぞれが自分に「縁」のある存在だと気付いた瞬間から、世界は変わってみえてくる。「彼らの守護天使になりたい!」と。生活も仕事も恋人への態度も変わっていく…最後にダヴィッドが語るけど、「変わろうと思い、そう決めるのは自分だけなんだ!」他者から強制されてもムリ。変わるのは自分の中から自ずと変わる契機があるとか、変わるための種を自分の中にまき、自分で育てるしかない。
メディアに面白おかしくネタ的に裁判のことが取り上げられ、オナニー野郎とかサイテー野郎と報道されるも、ダヴィッドはついに名乗り出る。それが変わり始めた彼がとる決断。彼は強くなれるはず。なによりこどもらがついている。恋人との間に生まれた赤子には、すでにたくさんの兄姉がいる。たくさんの愛情にかこまれて、しあわせに育つだろう。
…これは生物学上のつながりの物語。でも、結局「人間」であるからには、他者も自分と同じように人間であるのだから、と他者への想像力を持つことで、ダヴィッドとそのこどもたちのつながりのような縁を、自分のような人間であっても他者と持つこともできるだろう。人間という社会的存在であるとの気づきを得られるか否か…。ダヴィッドのこどもらにもいろんな子がおり、いいヤツばかりじゃないかもしれない。それでもそれらをすべてくるんで、補い助け合い、誰ひとり不要なものなどいない、そのはずじゃん、ということを感じ取れたらしあわせな思いを得られるファンタジー。ダメダメなダヴィッドが前半で着ていたアベンジャーズのTシャツが印象的。ダヴィッドはしがない肉の配達屋さん。でも、彼だって求められれば、誰かのヒーローになれるのですよ。
『人生、ブラボー!』(2011年/カナダ)監督:ケン・スコット 出演:パトリック・ユアール、アントワーヌ・ベルトラン、ジュリー・ル・ブレトン
http://www.jinseibravo.com/
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