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まばゆい世界『君と歩く世界』

宣伝チラシから予想していたた内容
シャチのトレーナーとして半人前からようやっと一人前になったところであるマリオン・コティヤール。これから仕事もどんどん楽しくなってやりがいに満ちていく…そんな矢先、とある一頭のシャチが野生に目覚めた瞬間、不運にもプールに落ち、彼女は足をかぷかぷと喰われてしまったのであった。事故により足を失ってしまった彼女は絶望し、生きる意欲も希望も失ってしまう。周囲の態度も変わってしまい、同情をかけられているばかりの存在になったことに自暴自棄になってしまう。そこに、ふとした契機で知り合ったある男性*1との交流を通じて、ふたりして支え合い、明るい方へ未来への希望を抱いて新たな生の段階を生きはじめるのであった。事故以来行くことのできなかった海へ向かう、シャチへ会いにいくために…
…って、全然違うがな。冒頭からいきなり「あ、これ予想してた内容と全然ちがうな」と軽く頭にパンチもらった心持ちになる。そしてそんな「予想とちがう」展開がどんどん繰り広げられていって、ある意味呆気にとられるような、でもそのグングン違うほうに枝がすくすく伸びていく物語の手触りに既視感みたいなのがあって、それは同じオディアール監督の『預言者』を観たときに感じた心持ちと同じだな、と思い出した。
そこに描かれてあるのは、生きていて、体をちゃんと洗わねば体臭もするし、髪もぼさぼさになるし、性欲もあるし、つい自分の好きなものに熱中してしまって(ものすごく大切な存在である)こどもをついないがしろにしてしまったりするような人間の動物的だったりちょっと理性的だったり打算的だったり場当たり的生き方だったり自己中心的だったり…そんなのがないまぜになったような泥臭いリアルな在り様。
人の生き様として、一直線に前に進んだり、反省して改善して順調にステップアップするってことないんだよな。『預言者』もそうだったけど、行ったり来たり、登ったと思ったらちょっと降りたり、成功したら次に失敗したり…で、ちょっとずつ前進していくような生き方を描いてる。
マリオン・コティヤール演じる足を失ったステファニーという女性。彼女が生に対してポジティブになる劇的な契機の瞬間は描かれない。足を失うという絶望的な事故。それでも一人暮らしし、生活できるように立て直していく。そんな折、以前クラブでトラブルになったとき知り合ったアリに連絡をする。物怖じしない彼なら、足を失った自分にも以前とかわらず接してくれるような気持ちがあったのかな。それで彼に海に連れて行ってもらう。「あー海だー泳ぎてー」とばかりに海に飛び込むアリ。「泳がないの?」と普通に尋ねる彼。楽しげに泳ぐ彼をみてると泳ぎたくなる。抱えてもらい海に放たれるステファニー。シャチのトレーナーだったんだから泳ぎは不自由ないだろ、とばかりにすたすたと浜辺に戻り居眠りするアリ。普通ならそんなことしないよね、足のない彼女をほったらかして浜辺で寝るって。でもそれができるアリだから、ステファニーをひとりの女性として人間として接することのできる(ある意味こどもだよな、この先入観のなさって)アリだから、ステファニーは彼を選ぶんだろうな。
アリはそう、ある意味こどもだ。だからストリートファイトの動画に夢中になり、こどものことも忘れる。怪我しようがかまわないし、姉が失職することにつながるような仕事にも手を染めてしまう。ステファニーの目の前で他の女をナンパもするしふたりで夜の闇に消えたりもする。
こどもだったアリは、“あそび”の時期を終わらせねばならないとひとり修行にでる。遅いイニシエーションか。修業時代を経て、以前は自己中心的にこどもをないがしろにし、手を上げたりもしたけれど、その拳をこどもの命を救うことに使えるようになるのな。
や、予想通りの映画ならつまらなかった。これは痛くて、でも人肌の温度を感じられる映画だったな。画質や音楽もとてもマッチしていましたよ。悲劇的な事故の瞬間の詩のような断片を繋ぎ合わせる描きかたもすばらしい。きらめく水や太陽、シャチ、浜辺…とても美しかったな。
『君と歩く世界』(2012/フランス=ベルギー監督:ジャック・オディアール 出演:マリオン・コティヤールマティアス・スーナーツ、コリンヌ・マシエロ、ブーリ・ランネール
http://www.kimito-aruku-sekai.com/main.html
http://movie.walkerplus.com/mv52097/

*1:なんだかわからないが、失職なり家族を失うとかいうような不幸を背負っている