『ブロンド少女は過激に美しく』

1908年生まれで、今作撮影中に100歳を超えたマノエル・ド・オリヴェイラ監督の作品とのこと。初めて観ました、オリヴェイラ監督。とにかく100歳超えという一点で、へぇぇ、と思い、ついでそのタイトルに驚き、これは観るしかないな、と思いKAVCへ観に行きましたよ。原題は“Singularidades de uma Rapariga Loura” / 英題:“Eccentricities of a Blonde-Haired Girl”ということで、原語は「ブロンド少女の特異さ」、というところのよう。邦題はロリータ要素を感じさせる風にして、集客効果を狙ったのかな。『ロリータ』とか『ヴェニスに死す』みたいな感じが邦題からはするけど、実際のお話はといえば、『ロリータ』ぽい感触も序盤にあったんだけれども、オチは全然違うテイストでした。
お話は64分という小品。ある男がブロンド少女に一目ぼれし、その熱が冷めるまで、だけのお話(これは映画冒頭ですぐわかります)。というと実もフタもないので、もう少し書いてみる。叔父の経営する店(布地とか売る感じ)の2Fの部屋で一人会計的仕事にいそしみ始めるマカリオ。窓の外には向かいの家の窓が見える。その窓辺にゆらゆらと東洋風の団扇を振りながら物憂げに立つブロンドの少女が現れ、マカリオは一目ぼれしてしまう。仕事も手につかなくなったマカリオは、かすかなツテを頼って少女の出入りするサークルのパーティ連れて行ってもらって、彼女を紹介してもらい、(途中端折った感じで)いきなり次の場面では彼女に求婚することについて叔父の反対にあって、叔父に追い出されて食い詰めて困ったり、儲け話にのって出稼ぎにいったり、だまされて金失ったり(保証人にはなっちゃダメだ絶対ダメだ)、叔父に許されたり、正式に求婚したりするわけです。
原作が19世紀のポルトガル文学ということで、風景も洋服や建物の感じも昔の感じなんだけど、どこか現代ぽいところも感じる。蜃気楼でぽっかり浮かびあがったような不可思議な映画内世界。だから夢物語のような寓話みたいな感じが終始している。電話がないので、連絡方法は“窓辺の下をうろついて視線が合うのを待つ”そんな時代。叔父に完全服従というか、叔父に絶対的権限があって、叔父が「結婚はダメったらダメ。独身ならここにおいてやる!けど結婚するなら出てけ!」っていうのもすごく不思議(広めの家に叔父とマカリオしかいないのも不思議)。どうみても叔父はホモセクシャルにしか見えんです。マカリオに結婚はダメったらダメ!と言った後で、怒って踵をかえすマカリオを呼び止めて「葉巻取って」って言って、またマカリオがちゃんと取ってあげるくだりとか。このあたりは慣習や時代性もあるんでしょうか。自分には、単に若い女子に甥っ子を取られて焼いてるツンデレ叔父貴にしか見えんかったですが。でも、『サザエさん』でもナミヘーの甥っ子が「おじさぁん」って擦り寄ってるし、日本でもそういう叔父貴崇拝文化が、昭和中期くらいまではあったのかもしれんですね。
固定カメラのショットばかりなのが、現代的じゃなく、いつの時代なんだろう感がさらに増す。また、画面の余白を多めに取ったり、人物を真ん中に配置せず、少し部屋の隅の位置に固定されたような映像が映し出されると、その余白が意味ありげに見える。観るものがすこし焦れるくらいまで静観し、TVとかなら「放送事故?次のカメラへの切り替えうまくいかないの?」と思うギリギリまでワンショットを引き伸ばす。なんだか妙な感じ。
そんな妙な感じのお膳立てが揃った状態で、奇妙なブロンド少女のナゾの行動が描かれるわけで。少女=ルイザは明らかに最初から男を誘ってる。窓辺に立って誰かを待ってる、それにひっかかったのがマカリオ。ルイザの内心は映画内の描写じゃ全然わからない。マカリオがアレコレなやんだりトラブったり落ち込んだりして、ルイザっていう“空虚な中心”の周りでアワアワなってるだけみたい。そんななぜか求心力のあるルイザが一番いい感じで色気たっぷりなのは、右目が隠れる感じの斜め前髪で出てくる最初の窓辺の立ち姿です。オススメ。スカーレット・ヨハンソンばりにエロいな*1!あと、最後のルイザの姿勢。なんというか、あの股をがさっと開いた感じって、身持ちの悪い女、という感じの表れなんだろうかね。あの姿勢がまた堪らない感じでした。カルメンみたいなファム・ファタールぽい、男を惑わす悪女的な。彼女はマカリオの次のターゲットをまた懲りずに探しそう。ちなみに、ラストのあの一連の行動は結構すぐ予測できました。彼女なら、そういう行動取るよね!と。前半でもちゃんと伏線があったものな。ネタバレ⇒手クセの悪い感じがプンプンしてた。そして彼女のあの“クセ”は治らない、きっと、と思った。最後に彼女が取ったポーズは、彼女の本性の現れた瞬間のように見えたので。
しかしその後のマカリオの行動の変わり身の早さは予想外だったので、ちょっとびびった。“百年の恋も冷める”瞬間をまざまざ観た感じでした。マカリオはだまされた!て思ったんでしょうか。恥かかされた!とか。結局、彼女の外見にだけ夢中になって、ファンタジーを膨らませて、その幻想に自分の夢をかけて、それがパチンとはじけたとたん、プライドや自分の人生を汚されたような気がする、ってマカリオは本当に浅いな。あぁ、でも現代のアイドルとか声優の人への幻想と似てるような気がする。そんで、その自分にとって“恥”の話を見ず知らずの赤の他人(列車で隣にすわった婦人)に話すっていうのも訳わからんし。誰かに話したいけど、誰にも不用意に話せない。二度と会わないような他人に話す…ネットがない時代に産まれちゃって残念だったね、マカリオ。

『ブロンド少女は過激に美しく』(2009/ポルトガル、スペイン、フランス合作)監督:マノエル・ド・オリヴェイラ 出演:リカルド・トレパ、カタリナ・ヴァレンシュタインほか
http://www.bowjapan.com/singularidades/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD16996/

この映画の寓話っぽさ…寓話だとしたら、教訓は「悪い女への一目ぼれにはご用心」なのかね。ブロンドっていうのも、なんか意味あるのかな。男を惑わす魅力的な女、的な。

*1:誉めことば