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『野火』


『野火』大阪での公開2日目にいきました。シネリーブル梅田でネット予約。いつも取る最前列真ん中…は既に押さえられていた。埋まってる席からひとつ空けてとっても、結局あとで誰かがあとでその間を埋めることが多々あるので、と隣を押さえたら最前列はよくみかける常連さん二人組と自分しかいなくて。最前列でちょこんと3人並んで観たわけです*1
塚本監督は『KOTOKO』が物凄く合わなくてかなりしんどかったので『野火』はスルーしようか*2と思ってましたが、昔原作を読んだこともあり気になったので足を運びました。
戦争が激化するほど補充兵役のハードルは低くなり、「根こそぎ動員」という状態になってしまったため、大岡昇平は昭和19年に35歳という年齢で徴兵され苛烈を極めたフィリピン戦線へ派兵されている。この従軍体験は彼にいくつもの作品を書かせている。自分は『野火』『レイテ戦記』『俘虜記』など学生の頃に一時期集中的に読んだ。なにせ昔に読んだから記憶は曖昧だけど、とにかく印象深かったのは大岡のきわめて理智的な筆致。そしてドラマティックというよりはどこか淡々と記述していること*3。しかしこの“劇的に描かない”ということが肝要で、過剰なセンチメンタリズムや反戦メッセージなどない。ひたすらその戦場の凄惨なありよう、人の死体がごろごろし、食べ物や水に飢え、飢餓状態が極限に達し、意識は朦朧とし、土やほこり等で汚れ、不衛生で、太陽の熱に灼かれ、人間性を保つのがギリギリ、いや、その極限を超えて狂いはじめる者がいることなどが、淡々と事実の羅列していくかのように描いているがゆえに、その描写は物凄い強度を持つ。上官の理不尽な命令や暴力などもただ、それをそのまま描くだけで十分。大岡には壮絶な体験だったけれども、彼が派兵されたことで稀有な戦争文学が生み出されたんだよな。
さて、塚本監督の映画化はどうなっていたか、というと、この大岡作品のエッセンスが生かされている、と思った。戦争反対メッセージやお涙ちょうだいの人間ドラマも皆無。ひたすらに極限状態や生者が一瞬でモノ=死体にかわる瞬間、そして人間の本能=飢えているのがツラい、ひたすら食べたい、という最終的な本能だけが研ぎ澄まされ、人の行動原理がそれだけになっていく様子を描いてる。これだけで十分なんだ。もう十分。低予算の映画だけに最初は録音や画質が気になったけど、そのうち気にならなくなる。本能vs本能の対峙場面、ものすごい叫び声をあげる現地住民の女もすごい迫力でした。リリー・フランキーのひたすらにいやぁな感じもよかった、本当に観ているだけでこちらの生理的にいやぁな部分を撫でさするような演技だな、あれは。リリーさんの持ち味を悪いキャラの方面に生かすと、すばらしくいやぁな演出ができるんだよな、と感じる*4。低予算と思えぬ迫力のある死体や人体損壊描写。また予算がないからよりシンプルな表現になっているのも奏功していると思う。ポスタービジュアルを見ればわかるとおりロケーションハンティングがすばらしい。足をつかってロケハンし、無い予算でも工夫して、ここまでできるんだな、と思った。凄惨だけど、目をそらすことができず、でも、そうやすやすと再見することはできない強烈さをもつ映画でした。

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

塚本晋也×野火

塚本晋也×野火

*1:2列目以降もパラパラと入ってましたけどね

*2:KOTOKO』同様塚本さんが出演しているのもちょっと引掛って

*3:『野火』はわりと観念的だったような気がするけど他の作品ことに『レイテ戦記』はことさらこの印象が強い

*4:例『凶悪』