年末/年越し
日記に書いておこうと思っている映画の感想は持ち越して、今日はゆるく自分の駄思い出を書いてみます。
仕事納めは今日でした。年末の押し迫った感・・・はそんなにないけど、部屋の大掃除したりはしなきゃな。そんな年末のこの時期における、小学生〜中学生くらいにかけての年賀状にかける意気込みはなんだったんだろうと不図思い出す。今のようにPCもなかったから、というのもあるけど、すべて手書き。干支の絵を描いたり色塗ったり。ヤバいほどの気合いの入り具合。一生懸命書いて、今年から一緒になったクラスの子に書いて送ったのに、相手からは元日に来なかったときのテンションだだ下がりったらなかったなあ。片思い感というのでしょうか(なんかせつない)。そんなことに感情を揺さぶられるリスクを避けたくて、誰に送るかを考えていたのがこんな年末。この人からは今年は返事的な感じで4日くらいに届いたから避けたほうがよいか、いや、来年は元日に送ってくるかもな、今年あたまの年賀状をみながら書くなら、とか。今や、なるべく年賀状はかかないで、という方向に転換しているのですが、あの頃はなんだか一生懸命だったな。元来の性格も起因してると思うけれど、出す相手をグルグル考えまくって、でもできるだけたくさん年賀状出したかった、そんなこどもの頃。
しかし、年賀状をちゃんと郵便局の官製ハガキに書いておきながら、なぜか元旦に家々に配達してまわっていた同級生がいたのは今考えると物凄く不思議だ。“いきった”小学生だったんだろうかね、彼らは。クラス全員に書いたりしてはった。普段交流ないから書くコメントなくって「今年もよろしく!」だけでもね。でも、思い返すと、それもいい思い出のひとこまのような気がしてきた。いろんな人がいるから楽しいね。
そんな年賀状を書いて、31日は年越し。掃除を手伝って、親が買った年末ジャンボの下一桁が当たってるのだけを抜いてあとは捨てる。そして晩御飯は蕎麦。こどもの頃は“年越しそば”に憧れてたな。こどもヴィジョンとしては、0時で日付が変わる瞬間に蕎麦をすすって食べている、っていうのが字義通りの“年越しそば”だと思っていました。年越しそばを食べながら除夜の鐘を聴く、っていうような場面を『サザエさん』かなにかで見たような記憶(いや、嘘かも)。でも、それって、クスリの服用が「食間」ていうのを、ご飯を食べている最中(ご飯食べ始めから食べ終わりまでの真ん中あたり)で、クスリを飲むことだというのとおんなじ感じかも(実際この勘違いをした人を間近で目撃したことあり)。や、でも、いつか0時またぎの瞬間の蕎麦すすりもやってみたいな。しかも除夜の鐘まで聴こえるシチュエーションで。やっぱこれはアコガレなんだな。実現しそうでしない、それがアコガレ。なんてね。