あたらしい歌

残業ループに絶賛はまり中です。朝もなかなか起きられずバタバタと出かける最近、容貌のあんばいもますます具合が悪くなってきているような気がする。鏡はもともとあまり見ない(一日に累積しても数分だと思う)けど、多忙になるとますます鏡をみることがなくなり、たまにトイレにいって手を洗い、ふと顔をあげて鏡に映った自分の顔の様子や髪がぺったりしてたりするのに驚愕したりする、ということもしばしば。・・・と、こんな多忙なミサワぼやきはやめといて、今日は短くちょっとだけ書く。昨日は書き出したら長くなってしまったけれど、今日は短くまとめる。
前にも書きましたが、“新”がつく名詞は、たいがい新しくなくなる。地名の“新世界@大阪”、“新開地@神戸”しかり。できた当時は新しいから、“新”とつけてしまうけど、いずれか古びる。音楽なら“ニューウェーブ”なんてのもそうですね(日本にも“ニューミュージック”ってのが昔あったそうだけど、これはよく知らないのでパス)。未だにニューウェーブがなんたるものか、よく分かっていないけど、前に宇多丸さんのラジオでロマンポルシェがゲストで「ニューウェーブ特集」をしたときの音源をpodcastで聴きましたが、podcastゆえ、曲が聴けないのが難でして。でもロマンポルシェさんいわくジグ・ジグ・スパトニックが代表的存在とか言ってたような(うろおぼえ)。彼らのことはよくわかってないけど、ビジュアルがやたら派手なのに音はスカスカしている感じ。ははぁ、その奇抜さや小林信彦の小説みたく“業界”で“仕掛けてる”感とか、うさんくささとか猥雑さの入り混じった感じがキモなのかも。音楽単体じゃなく、トータルなイメージ、存在そのものの新奇さがニューウェーブなんだろうか。きっと音楽的にもシンセを使うとか、なにか約束事があるはずだろうけど、それらはきっと後付けでしょう。登場時のインパクトがきっと大事なのかな。という意味では第一人者って大きい存在ですね。なんだかよくわからないけどこれまでと違う“あたらしい”ものを体現する第一人者の登場があたらしいジャンルやレッテルを作り出し、フォロワーがジャンルを構成するもの。
登場のインパクト、というと、中村一義が一番印象深かったです。ロキノンでデビュー前?か直後かにいきなり表紙&ロングインタビューでやたら押しまくってた。今思い返せば、FMのヘビーローテーションみたいなのにもなってたし、有る意味ちゃんと準備して“仕掛けた”デビューだったんだろうと思うけど、彼の歌声にすごい衝撃、インパクトを受けた。「どう?どう?街を背に僕はゆく」と呼びかけではじまる『犬と猫』聴いたとき、まず日本語がほとんど聴き取れないこの甲高い歌い方とか、曲調とか、すべてにおいて新奇なものに触れたような気がしたのです。でも、インタビューを読んだら、ビートルズばっかり聴いてた、とか言ってたような気がするからかなりバックグラウンドはベーシックなもので構成されていると思う。今にして思い返すと、自分の部屋のことを“状況が裂いた部屋”っていうあたりは“中2病”みたいな感じもあるかもな、とか、いかにもロキノンぽいプッシュの仕方だったな(彼の生い立ちなどのバックグラウンドをやたらフィーチャーしたり)、とか思うけど、でも『犬と猫』はシングル買って何回も何回も聴いたな。
そういう意味では自分にとってのあたらしい歌は、中村一義の『犬と猫』かも。大好きな曲やアーティストはほかにもっといるのに、“あたらしい”というタグがつくのは、中村一義だ、きっと。というあくまで個人的な意見だった今日の日記。

ジグ・ジグ・スパトニック http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD82362/index.html

中村一義 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%B8%80%E7%BE%A9 
『犬と猫』(1997年)
http://www.youtube.com/watch?v=5HUug9uO2_g