伊藤計劃『虐殺器官』

買ってから3ヶ月くらい眠らせていた『虐殺器官』を読み始めて二日目に伊藤計劃氏の『ハーモニー』がアメリカのSF賞「フィリップ・K・ディック賞」で次点に当たる特別賞を受賞した、との報を目にしました。これも虫のしらせか、風が自分のほうに吹いているのか、これから自分にいいことあるのか…*1。読み始めたら通勤で電車に乗っている時間があっという間なので、快速とか新快速(JR西日本)に乗るところを普通電車にして読み続けました。
第一部冒頭の強烈な場面の描写。少女の頭がぱっくり割れ、地面に顔をつっこんでる様。小説なのに、脳内にそのビジュアルのイメージを広げさせる筆力にうなる。このイメージが最後まで通奏低音のように響き続ける。謎、アクション、近未来設定、映画的シークエンスが連なっていく。9・11テロ後の世界が舞台。人工筋肉で覆われたポッドや輸送機…人工筋肉って、すこし前にNHKの『爆問学問』で、とある教授を取材した映像で、シャーレの上で彼の研究成果(培養した筋肉)がぴくぴく動く姿を見て慄いたのを思い出す。これは、ありえなくない近未来じゃない?オルタナやナノレイヤー、ID認証がなければピザも買えない世界、戦時の心理的調整、痛覚マスキング。これらが、荒唐無稽じゃなく感じる。戦場に赴くものへの精神的ケアは今では当然のものだし、効率と能力を追求すれば、小説内に登場するツール群はあり得べき、というか待望されるものであろうな、と思う。そんな世界に君臨する謎の“虐殺の王”の存在。彼は呪術師のように虐殺のことばを吐き出す。…これらの設定がすんなり受け入れられるのには、既視感があるから、というのもあるかな。
先行する名作のサンプリングは創作において必要不可欠/当たり前のこと。映画も小説もなにもかも先行するものに影響を受けずに作られることはないし、先人の膨大な創作物があればこそ、ある種の前提や創作世界の地平が開けている。その偉大な地平の上に立って、いかにオリジナリティのある創作物を紡げるかが作品の優劣を分けるわけで。文学研究はまずそのサンプリング元ネタ、というか、作者のインスピレーションの元を探るのを一番にやる。そして、当時の社会状況や、作者の環境などを丹念に辿る。いかなる創作物も世の中の時流に影響を受けていないものはないから。伊藤氏は、彼が受容したものを彼なりにサンプリングし、オリジナリティのある設定を付け加え、さらに9・11後の現代の世界の問題を織り込んで『虐殺器官』を書いた(今作に影響を与えたものについては大森望氏の解説に詳しい)。伊藤氏の問題意識がどのようなものか、どんなものをサンプリングするネタとして選択し、サンプリングを通じオリジナリティを紡ぎだして創作するか、がポイントになるわけです。伊藤氏のこの世界への抱く思い、そして問題意識に、今作を読みながら自分もすごく共感してしまったようで、だからこの作品は自分にとって、感動的ですらあって、その残虐なシーンの不思議な美しさ、感情に流されすぎない筆致に没頭することができた。悲しくて、空っぽで、疑問や不安にさいなまれる主人公:クラヴィスの戸惑いに共感しつつ、彼のプロフェッショナルなミッション遂行に“カッコいい”と思ってしまう、いや、でもカッコイイと思ってしまっていいのか、と思い、余計にクラヴィスの持つ罪の意識を共有する感覚が深くなる。
またこの小説は“自由”について、もテーマになっている。「ある自由を放棄して、ある自由を得る」「人が自由だというのは、みずから選んで自由をすてることができるから」「人間の自由とは、危険を回避する能力のことでもある。さまざまなリスクを考慮して、自分にとって最適なものを『選ぶ』能力が『自由』なのだ」「自由とは、選ぶことができるということだ。できることの可能性を捨てて、それを『わたし』の名のもとに選択するということだ」「本当の意味で自由でいたいのなら、本当の意味で自由な国でありたいのなら。自由の責任を負う必要がある。選んだ結果としての自由を背負う必要がある」…などなど。なんか耳が痛いな。自分はそんな責任を負ってるんだろうか、ただなんとなく生きてるだけで、現状をなんとなく当たり前として受容してる。クラヴィスのようにモノのメタヒストリーを探る、なんてことはやらないわけで。…でも、この“自由”についての思索には共感するところがあったのです。学生のときは自由だった、とクリシェのようにいわれるけど、そんなに自由だっけ。結構窮屈だったような気がする。今は働いていて、自由な時間は制限されているけど、仕事を責任を負って行い、その対価としてお金を得て、すくない時間だけど映画をみたり出かけたりすることを選択できる。うん、これ自由だ。仕事に一日のほとんどの時間を占拠されたらこう思えないかもしれないけど。でもある自由を選択し、ある自由を放棄するからこそ、自由を得られる。
あとは言葉についての思索や虐殺の王ジョン・ポールの手法について、大森望氏の解説見て、ああそうだ「CURE」だな、と思ったけど、これもおもしろかった。言葉について言葉で語るときによく生じているメタ的ないやらしさもないし、すんなり入ってきた。言葉のもつ呪術性はどんなに言語学が進もうと解き明かせない謎だろうから、それをキーにするのは、ベタといえばベタなんだけど、小説内での“言葉”を巡るダイアログが薄っぺらじゃないから、説得力があるし物語世界を強化している。
というわけで『ハーモニー』も買ってきたよ。彼の創作物がもう新たには紡ぎだされないというのが、残念でならないな。

虐殺器官伊藤計劃:著(2007)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

*1:因果関係無いのはわかってる…