悪気はまったく無い人なのです『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

町山智浩さんの昨年度ベストで上位だったこの作品は気になっていました。そうして観に行ったところ、そこに映し出された現象にはどこか既視感があったのです。

たとえば。とある誰か(A)と誰か(B)がなにかの会話をしてる。(A)は彼が持っているちょっと新規な“情報”をネタとして提供し、会話は盛り上がりました。後日、また(A)と(B)が会話をする機会が訪れる。すると(B)は、(A)が前に(B)に教えてあげた“情報”を、まるで(B)の持ち球であったかのように(A)に話したのです。(A)はこう思いました: ≪「あ、それ前、オレが言ったアレだよね」と言っては大人気ないか、まぁとりあえず聞き流すか、あえて指摘するほど大したことないしなぁ。でも、こいつ結構こういうこと多くない?≫
また別のケース。(A)は、友人(B)につきあってもらって買い物にでかけます。(A)の恋人へのバースディプレゼントを買いに行くのです。そうして(A)が先日見つけた小さくて目立たないながらもセンスの塊みたいなセレクトショップにて、とてもステキな腕時計を購入する。しばらくのち、(A)(B)含む何人かで集まったときに(B)のステキな時計に気付いた誰かが「それいいね」という。(A)がふと(B)の腕に視線をやると、なんとその時計は(A)が恋人に贈った時計と同じものだったのです。しかし(B)は(A)も同席しているにもかかわらず(A)の名前は出さずに「これちょっと穴場のお店で見つけたんだよ♪」と言ったのでした。 ≪(A)は開いた口が閉じられなかったとさ≫

上の2つのケース。共通点はいわば、無邪気な剽窃、かな。2つのケースおいて、(A)は読書とかで自分なりに知識を得たり、あちこち足を運んでステキお店情報を得たのに、そんな過程をすっとばし、結果だけをいただいて人に開陳してる時点で(A)は(B)に多少大げさに“shame on you!”と言ってやりたい気分なのです。だけど、性質がわるいのは(B)には悪気はまったくないのです。だから(A)は困り顔になるしかない。≪悪いヤツじゃあ、ないんだよな、(B)って…でもなぁ≫
バンクシーのドキュメント映画に出てきたMBW(Mr.BrainWash)ことティエリー・グリッタはまさに上であげたケースの(B)みたいなヤツで、彼にはまったく悪気はございません*1。それが厄介きわまりない。パクったつもりは全然ない。おもしろい!と思ったネタを自分のなかにとりこんで、自分のもののように思っちゃったり、「いいなぁ」と思った時計を自分の腕にもできてうれしいな♪などと素直に思っているだけなのです。しかも、それが「おもしろいネタだね!」と言われたりすると、相手も喜んでくれているし、自分も気持ちよくなるし、まさにWin-Win!まして、そのネタをつかって創作→金につながるとしたらWin-Win-WInの輪ですよ…
自分は、どうにもこうにも根本的に合わない人がいると、“あの人の宇宙は自分とは別の宇宙みたいだな”と思って、向き合うことを止めてしまう。彼らの論理は強固にあるし、自分には自分の思う論理があって、両者は相いれないし、歩み寄ることもないだろうな、と思ってしまう。どちらが正しいとかではなく、自分は自分の論理を正しいと思ってないと生きてけないし、それを曲げられないなら、相容れない相手を避けていこうと思うわけです。この映画におけるMBWもそんな“自分とは違う宇宙”に住んでる存在みたく感じて、無邪気に悪気なく他者を模倣する彼を観ながら「鬱陶しいな」とイライラしてました。バンクシーは、そんなイライラさせる不可解な存在を、無視したり避けたりするんじゃなく、逆に利用して自分も含むストリートアートの商業化という現象についてのドキュメントに仕上げているんだな、と観ながら段々わかってきた。
MBWには中身はなくってからっぽな虚像。すべては焼き直し、パクリ。こんな人が偶然の運命の導きによって劇的なことになるとは驚きです。あまりによく出来すぎてて、この映画およびMBWという存在もすべてバンクシーがしかけたファンタジーのように思える。実際、MBWをめぐる現象について本当なのか、すべてバンクシーが仕掛けたことなのかは真偽ははっきりしない。でも、映画のティエリーが仕掛けられた存在だったとしても、今作におけるMBW的な“悪気のない”存在は現実にたくさんいる。そしてMBW的な薄っぺらいものでも、メディアなりなんなりのオーソライズだけで成立してしまって巨額の投資がなされる現状が厳然とある。メディアでの取り上げられ方やいわゆるセレブリティの追認によりムーブメントになり、そこに金の匂いを嗅ぎつけて集まってくる連中もいる。でもみんな悪気はなくって、みんな自分の気持ち(“コレイイね!”とか“ステキなコレをつかってお金儲けしたい!”とか)に正直なだけだと思う。映画のティーザーやアイドルやカリスマ読者モデルを売り出す際のメディア戦略、ちょっと昔の裏原ブランド。MBW的モデルはいろんなケースにあてはめて考えられそう。
MBWにはムカつくよ!という人もいれば、いいじゃんそのニセ者感!と、さらにメタ的におもしろがっちゃえばいいよ、て思う人もいそうだし、別にMBW普通にいいじゃないマドンナのジャケとかやってるしすごいよ、という素直な人もいると思う。世界は広いし、世の中にはいろいろな人々がいて、それぞれがそれぞれの宇宙を持っている。MBW的なのをメタ的におもしろがる人はMBW的宇宙で勝手にやってればいいよ、そんな論理イヤだし違う宇宙で生きていくよ、と思ってしまう自分は寛容な人間ではないし、そこで思考が止まってるんですよね…。でも、バンクシーは、MBWみたいにどこか憎めなくて、でもその無邪気さで人をイライラさせるキャラをきちんと映画的に成立させたうえで、映画全体で批評性(冒頭では“教訓”と言ってましたね)を持たせるということをしていて、その鮮やかな手法に、バンクシーのアーティストとしてのユニークさやオリジナリティを感じましたよ。

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』 (2010/アメリカ=イギリス)監督:バンクシー 出演: ティエリー・グエッタ、スペース・インベーダー、シェパード・フェイリー、バンクシーほか
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http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18016/

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Wall and Piece

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*1:悪気がなけりゃ、いいのか問題…