ゾンビ=黄色い小さな花『籠の中の乙女』

いろんな文明の恩恵は受けといて、自分のコトは棚に上げといて、我がコドモは文明の"害悪"から守りたいとかって何様
この映画の両親は極端にみえるけど、こういう傾向のある親っていうのははたしかに昔からきっと存在しているだろうね。ただ、今は“社会全体において”こういう傾向が加速しつつあるのかな。危ない遊具は撤去、過激な描写は排除、映画もアニメもマイルドに道徳的に倫理的にポリティカリーにコレクトで。夜に音楽かけて踊るのは不道徳っぽくてダメっぽいから一律全部法律で取り締まって。ゲームも差別的雰囲気の言葉もダメだし、地上波では血も暴力も根こそぎカット。現実には暴力も死体も存在しているし、三面記事になるようなショッキングな事件は嬉々としてネタにするけれど、表現するのは自主規制。
コドモを純粋培養することは、コドモを自分の手中に置き続ける/庇護し続ける意志のあらわれ。つまり親は子離れしないという宣誓である。カワイイカワイイと置き続けすべての行動を監視し続ける。それは親が死ぬときコドモを道連れにするってことだよね。性行為も親があてがう。しかし外部から性的処理のためのツールを導入することは外部の侵入の危険性をはらんでいて、結局内部で調達しようとする…近親相姦にいきつくわけだ。濃密な血縁空間。閉塞感だし、なにもかも既知、という世界。
ソトの世界は害悪や恐ろしいものに満ちているから、と未知はソトに排除して、既知のもので埋め尽くそうとする世界は窮屈だ。ソトからやってきた概念は、ソトへの憧憬をもたらすから徹底排除。コトバや概念も、あたりさわりない=意味のないものに置き換える。「ゾンビ=小さな黄色い花なのですよ(by母)」
息子の性的欲求処理のための道具としての女が、ソトの害悪を持ち込んでしまった。長女が観たものは『ロッキー』『ジョーズ』。それは、それはおもしろいよね。サメのマネするよね。一度知ってしまったものは知らなかった手前の状態に戻ることは不可能。観なかったことにできない。消しゴムで消せない記憶。長女は犬歯が抜けたらソトに出られる、という親の教えを真に受けて、イニシエーションとして犬歯を折る。血まみれで彼女は意気揚々とソトの世界へでる。彼女は生き延びられるのかどうかわからない。それでも蒙が啓けたその喜びはなにものにも替えがたかっただろう。この世界は広く、未知のもので満ち溢れているのだという不思議とワクワクする気持ちを抱けた一瞬だけでも真に生きた瞬間だったろうから。
籠の中の乙女(2009/ギリシャ)監督:ヨルゴス・ランティモス 出演:クリストス・ステルギオグル、ミシェル・ヴァレイ、アンゲリキ・パプーリァ、マリア・ツォニ、 クリストス・パサリス、アナ・カレジドゥ
http://kago-otome.ayapro.ne.jp/
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21963/index.html

ソトの怖さを知らしめようとする親の行動や、イチイチ、ギャグっぽいところもありましたね。生真面目さがおもしろさに転じる瞬間。あと長女のあのダンスはすごかった。本当にすごかった。江頭さんかと思った。