非日常なライフ
今日はめったにいかないレイトショーへ行くつもりにしているので、今日の分の日記を昼間っから書き始めました。普段、夜にTVをつけたり、ラジオをつけたり、ネットをしながらゆるゆると書いているので、昼間の自然光のもとでこういう風に書いている、ということについて、違和感というか、すこし非日常な感じがするのです。
職場の転勤とかで新たな環境に入ると、自分の作法を確立するまで不安定です。ものすごく瑣末な事例ですが、転勤で遠いところへ通うことになったら、通勤時間が変わる。朝起きる時間が変わると、朝起きてつけたTVでやっている番組や番組のコーナーが違う。そしたら「大体、このコーナーで朝食を食べ終わって、このコーナーくらいで歯磨きで・・・云々」といった行動の時系列が最初はフワフワして不安定なんで、ペースをつかめなくって、間に合わん!って大急ぎしなくてはならなくなったりします。そして、駅に着いても「あの駅だからホームのこの辺りに立って・・・」というのが最初の数日はつかめない。それらの行動様式やペースが段々とつかめてくると、新しい職場の付近の駅や風景なども見慣れたもののように感じて、親和性を感じる。たまに旅行して異なる土地にいくと、土地に溶け込めていない自分を感じるのは、日常のルーティーン外の風景に自分がヨソモノとして入り込んでるような感じがするからかな。“お客様っぽいな、自分”なんて他人からみたらそんな違いないのになー、きっと。
また、外出から家に帰ってきて、ご飯を食べて、風呂にはいって就寝までの行動様式こそ、各自の大事な手順があると思う。そういったルーティーンって人に安定感や安心感を与えると思います。意識的にせよ無意識にせよ、人間は自分で自分のライフを守るために、ある程度自分のライフにレールを敷いている(人生のレールみたいな大げさな話ではなく、日常生活に)。
平凡なライフを送っている自分なものですから、twitterで有名な津田さんのツイートを見ると、日々仕事で飛び回ってはって、夜遅かったり朝早かったりして変動の多い日々を送ってはるのがすごいな、と思います。でも、いわゆる芸能人といわれる人々や津田さんのように変化の多い日々を送っていても、朝起きてから家を出るまで、や、家に着いてから眠るまで、の行動はきっとルーティーンな部分があって、そこで平安を得てるのかなぁと思います。
さて、そんな自分のルーティーンからすると、たとえば“朝風呂”というのは非日常なのです。ですから、自然光のもとで風呂に入ってるのが不思議な感じでしようがない。この非日常はこれまでに、『夜行バスで早朝に帰宅したとき』『正月』『旅行』『徹夜』くらいでしか体験しておりません。これら4つの事例は確かに非日常です。一種の「ハレ」ですね。
自分はこういった日常のルーティーンな生活との若干のズレみたいな部分に非日常性を感じがちなんで、USJとかディズニーリゾートとかは、あんまり非日常な感じがしないんですよね(あまり行ってないけど)。種々のお膳立てをされたアトラクティブな施設が整った空間だ、と予め分かってるからかな。でも、別にそれらのレジャー的存在について否定したいわけでも、嫌いなわけでも全然ないのです。そういう“非日常体験”を自分たちの手や技術を結集させて、想像力を最大限に働かせて、創り出そうとした成果の集大成がひとつの空間として形成されてるんだから、本当にすばらしいと思う。人間の創造する力はすごい。
でも、やっぱり非日常性は、“夜ご飯を食べて歯を磨いたら何も食べないようにしているのに、冷蔵庫で存在感を放っていた頂き物のゼリーをつい食べてしまったそんな夜”、の方に感じるんですよ。ああ、ちゃっちいな、自分のライフ。つくづくと。